損して得とれ

時は 昭和20年、世田谷区上野毛の東急グループの総帥 五島慶太邸に

粗末な背広を着たツルッパゲの男が、「箱根強羅(ごうら)ホテルを 買いたい」

と やって来た。

 

この時、五島は組合に越年資金をよこせと ストライキを起こされ

現金で500万円が 必要であった。 

当時の500万円は 現在の金額でいえば 数十億円である。

五島は 組合対策資金を捻出するのに困り、ついに 強羅ホテルを売ることを決意し

誰か買ってくれる人がいないか、大物代議士 田辺七六(シチロク)に相談したところ

紹介されたのが このツルッパゲの男であった。

 

しかし この男の年齢を知って驚いたのは 五島である。

頭が禿げているので 老けて見えるが まだ28歳だという。

 

「君が強羅ホテルを買うのか。」
「はい、売ってください。」
「5百万円以下では売らないよ。  ただし現金でだ。」
「結構です。」
「金は、急ぐんだ。  明日までに用意できるか。」
「用意してみせます。」

 

五島は あまりにも若いので 本当に現金を用意出来るのかどうか 半信半疑であったが

この男は翌日、五島の目の前に トランクから取り出した札束を積上げてみせた。

そのときの この男の台詞が ふるっていた。

 

「わたしのような若造が、大それたことを とお叱りを受けるかもしれませんが

天下の五島さんが 強羅ホテルを手放されるということは、よほどお金が大変だったのでしょう。

ついては、5百5十万円で買わせてください。  わたくしのご挨拶の 手みやげ代わりです。」

それから直ぐに 強羅ホテルの売買契約は成立した。

このツルッパゲの男が 国際興業の社主、小佐野賢治である。

 

後に五島は 伝記執筆のために しばしば訪ねてきていた経済評論家の三鬼陽之助

に 「小佐野は 山梨の百姓の子だというが、打てば響く男で 学問はないが 妙に折目が正しい。

いつも 筋も通っている。  太閤秀吉、いや 木下藤吉郎の生まれ変わったような男だ」

と 感嘆したという。

 

小佐野は 強羅ホテルの買収をきっかけに 五島慶太の知遇を得ることが出来

国際興業がバス事業としての出発となった 「東都乗合自動車」を 譲ってもらったり

財界の大御所、小林中(アタル)の家を売ってもらう等、公私にわたりバックアップを受け

国際興業を 飛躍させる足がかりを 作ることが出来た。

 

 

 

いや~ さすが、田中角栄の刎頚の友 です ・・・

 

 

 

箱根強羅ホテル