貝島 太助

「貧なりといえども 志もとより雄大なり。 学識なしといえども頭脳明晰、決断流れるが如し。 その忍耐、熱心に至っては 多年の修練牢然として抜くべからず。 けだし成功の秘訣は忍耐、熱心、勉強の三者にして、貧と無学とは 憂うるに足らざるなり。」
29.12.19. 貝島太助
1845.2.17.~1916.11.1. 71歳没
 
九州で炭鉱の貝島といえば 児童や走卒 みなこれを知るほどの一代の長者だが、その本尊の太助は頑丈で 文盲な老爺である。 30余年前までは夫婦共稼ぎで 日夜石炭抗の中にもぐり込み、鶴はし一本で やっとその命を支えたものだ。
それが運勢に乗ってくる時は妙なもので、わずかな資本で山を買ったのが当たり、それより、することなすこと意の如くに運び、ついに立派な坑主となり、拡張に拡張を重ねたが、勢いに乗じて拡張したため、資本に窮し これを調達せんがため上京するも、むなしく帰途につくこととなり、資金調達の目途は立たず 海に身を投じることを考えるほどの 悲嘆ぶりであった。
それがひょんなことから 三井の顧問格の井上馨を知るところとなり、それを機に大成への道をひた走る。
 
貧乏と無学は 筑豊の炭坑王の場合、発奮材料とはなっても 阻害要因とはならなかった …
 
劣等感を うまくエネルギーに変換したんですね。