中学 高校と、勉強があまり好きでなく 得意でもなく …
美方高校を卒業後、大阪の建築専門学校に入学しましたが
学校は程々にして ほぼ毎日、水商売のアルバイトの日々でした。
大阪で2年間過ごし、二十歳で高浜に戻り
父親の経営する「時岡工務店」に就職し現場の作業に従事し
夏の1ヶ月余と 時々冬場の週末は 民宿「鼓松」の支配人業務を担当しておりました。
二十二歳の夏、肺結核を発症 … 約2ヶ月の入院を経験し
その後 瑞浪のモラロジー社会教育センターにて 1週間の講座を受け
高浜モラロジー事務所 青年部に入りました。
そして 私の人生の師となる 「岡本信二先生」に 出会ったのです。
この頃から 企業家として成功したい …
という気持ちが 沸々と込み上げてきたように思います。
三十歳の時、現在の本館(表側)を新築すると 急に忙しくなり 二足のわらじ
(建設業&旅館業)から、旅館業に 専念することになりました。
父は 夏季民宿の経験しかない私に 業務を丸投げしたものですから
いろんなことがありまして、その度に 岡本先生宅に訪問し
日常の心の持ち方から 家族や仕事の問題 ・成功者のイイ話等
幾度と無く 一対一の個人指導を 受けさせて頂きました。
(初めの1回目は、訪問するのに勇気がいりました)
ご指導を受ける過程で、千日超 毎日ハガキを書いたこともありましたし
モラロジー活動以外にも 菩提寺や地元の神社に 協力する姿勢の大切さを教わりました。
一対一の指導程、身に付くことはありませんね ・・・
この時期に 一気に物の考え方が固まったように思います。
岡本先生ご本人から 2ヶ月前に仕出しの注文を頂き、電話で お話ししました。
声に力はなかったですが しっかりとした口調でした …
それが 私との最後の接点となりました。
昨日夕方、身罷られ 本日午前中 お会いしてきました ・・・
今際の時まで 認知症の兆候すらなく、自分亡き後の希望を述べ
眠るがごとく 逝かれたそうです。
写真は 2009年6月のモノ 「岡本企業研究会」 です。
