1875年(明治8年)4月23日 ~ 1949年(昭和24年)8月27日)
松園は 誕生2ヶ月前に 父を亡くしている。 母仲子は 女手一つで松園と姉、二人の娘を育て上げた。 明治の女性が画家を志すなど、世間で認めるところではなかったが 仲子は常に松園を理解し励まし支え続けた。
松園はその著書 『青眉抄』で母を追憶して 「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに 絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。 私を生んだ母は、私の芸術までも 生んでくれたのである。」 と述べている。 母を亡くした後には、「母子」「青眉」「夕暮」「晩秋」など 母を追慕する格調高い作品が生まれた。
「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする 香高い珠玉のような絵」
「真 ・善 ・美の極致に達した 本格的な美人画」 (いずれも松園のことば)
を 念願として 女性を描き続けた。
30年程前、父は 本物と信じて購入したようですが、真偽の程は いかに ・・・
以前泊った時飾ってあったので、びっくりして見入りました。
掛軸は贋作多いですからね。しかも人気作家ですし。
私も真贋不明な作品を1つ持っていますが、それは本物と
信じております。
う~ん …
何となく不安に なってきました ・・・
私としては、いくら著名であっても当地域と縁のない方の作品より 無名でも地元エリアの芸術家の作品を展示したく思っています。