「映画は 国境を越え 言葉を越えて
『生きる悲しみ』 を 希望や勇気に変えることができる力を 秘めている … 」
高倉健 昭和6年2月16日生まれ83歳 (私の父と同年)
生い立ち
1931年に福岡県中間市の裕福な一家に生まれる。 父は旧海軍の軍人で
炭鉱夫の取りまとめ役などをしていた。 母は教員だった。
幼少期の高倉は、肺を病み、虚弱だった。 終戦を迎えた中学生の時、アメリカ文化に触れ
中でもボクシングと英語に興味を持った。 学校に掛け合ってボクシング部を作り
夢中になって打ち込み、戦績は6勝1敗だった。
英語は小倉の米軍司令官の息子と友達になり、週末に遊びに行く中で覚え
高校時代にはESS部を創設して 英語力に磨きをかけた。
福岡県立東筑高等学校を経て、貿易商を目指して
明治大学商学部商学科へ進学。 大学卒業後、思ったような就職先がなく一旦帰郷した。
1955年に大学時代の知人のつてで、美空ひばりらが所属する新芸プロの
マネージャーになるため 喫茶店で面接テストを受けたが、その場に居合わせた
映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされ
東映ニューフェイス第2期生として 東映へ入社。
俳優座研究所では 「他の人の邪魔になるから 見学していてください …」
と云われる落ちこぼれ だったという。 しかし採用から1か月半で 主役デビューが決定!
その際に マキノの知人から 「高倉健」 と 芸名をつけられる …
「鉄道員(ぽっぽや)」… いい映画でした …