「多くの人は チャンスを逃してしまう …
なぜなら チャンスは、オーバーオールを着ており 大変そうに見えるからだ。」
トーマス・エジソン (1847.2.11.~1931.10.18. 84歳没)

少年時代のトーマスは、異常なほどの 知りたがり屋であった。
当時の逸話としては、算数の授業中には 「1+1=2」 と教えられても
鵜呑みにすることが できず
「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのに なぜ2個なの?」
と質問したり、英語の授業中にも、「A(エー)は どうしてP(ピー)と呼ばないの?」
と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに 「Why? (なぜ?)」を連発して
先生を 困らせていたという。
その様な好奇心は学校内に止まらず、ガチョウの卵を 自分で孵化させようとして
卵を抱き抱えて ガチョウ小屋の中に 何時間も座り込んだり
「なぜ物は燃えるのか」 を 知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ
自宅の納屋を全焼させるなどの事件を 起こしたこともあった。
これらが重なった挙句、最終的には担任の先生から
「君の頭は腐っている」 と 吐き捨てられ
校長からも「他の生徒たちの迷惑になる」 と 言われ
入学から わずか3ヶ月で 退学することとなった。
学校教育に馴染めなかったトーマスは、自宅で独学することになったのだった …

エジソンは1868年、21歳の時に初めて特許を取得した。
それは電気投票記録機に関するもので、議会における賛成票と反対票の数を押し
ボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる
画期的な発明となる筈だった。
だが、実際には「少数派の議員による牛歩戦術ができなくなる」
という理由で全く採用されなかった。
エジソンは この苦い経験を通して、いくら立派な発明でも
人々が喜んでくれなければ 何の意味もない事を痛感し
その後は 周囲の人々の意見や要望を よく聞いてから
発明に取り組むようになったという。
その翌年の1869年、エジソンが22歳の時に特許を取得した株式相場表示機は
業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。
最初、エジソン自身は5000ドルほどで特許権を売るつもりであったが
実際には4万ドル(現在の日本円だと約2億円相当)で 買い取られ
エジソンは当初の予想より 8倍も高い金額を提示されて
心臓が止まるかと思うほど 驚いたという …
こうして エジソンは発明家としての人生を 本格的に歩んでゆくことになった。
生涯で 1300もの発明を行った 希代の発明王 …
ユニークな逸話は、まだまだ たくさんありますが このくらいにしときます。