「 天才と呼ばれていた人よりも、
才能がないと言われていた人のほうが 成功している … 」
萩本欽一 (1941.5.7. ~ 73歳)
高校卒業後 浅草の東洋劇場入団当時
演出家から、「君は才能がないから やめたほうがいい」
と言われて落ち込み 諦めようとした際、池信一という人物が 演出家を説得し
「大丈夫、演出の先生に言ってきた。 ずっと いていいよ。」
と萩本を引き止めた。
その後、その演出家から 「萩本は才能がない …
しかし、これほどいい返事をする若者は いない。 あいつの 【はい】 は気持ちがいい。
【はい】 だけで置いてやってくれ」 と池信一が 言っていたことを 知らされる。
さらに、その演出家から 「芸能界は どんなに才能がなくても、
たった 1人でも応援する人がいたら 必ず成功する。
お前を止めさせないでくれ という応援者がいるようだし
多分 お前は成功するから 頑張れ!」 と言われ奮起。
その 後、誰も居ない劇場で 早朝に大声を出す練習をしたり
先輩芸人の真似を何度も繰り返すなど 才能を努力で補うために 必死になった。
なるほど … 【はい】 が、成功の種 だったんですね。