「戦争で片腕を失っても 絶望なんてしなかった。 だって 生きてるんだから」
「私は片腕がなくても 他人の3倍は仕事をしてきた。
もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう。
命を失うより 片腕をなくしても 生きている方が 価値がある …」
水木しげる (漫画家 1922年3月8日~ 92歳)
貧乏生活のさなか、すでに40歳近い水木を心配する両親の強い薦めで
島根県安来市出身の飯塚布枝と見合いで1961年(S.36年)に結婚。
見合いから結婚式まで わずか5日というスピード婚であった。
見合いから結婚式の間、水木は母親の厳命で 左手に義手をつけていたが
本人は義手が大嫌いだったため、以降は義手をつけることはなかった。
結婚後 身体の不自由さについて 愚痴を言うことなく
あらゆることを 人の手を借りず行おうとする態度に 布枝は感嘆した。
布枝は上京して、水木のあまりの貧乏生活に驚く。
水木は母親が上京してくるのを恐れて 自分の家族にさえ 貧しさを隠していたため
見合いの際は、「東京でそれなりの暮らし」 と偽っていた。
だが、布枝は水木の非常に熱心な仕事ぶりを見るうち、次第に尊敬の念が湧き
器用だったため 漫画のアシスタント役もこなした。
40代前半くらいから 運命が開け、その後
1991年 紫綬褒章 受章
2003年に旭日小綬章 受章
2007年 『のんのんばあとオレ』 により
フランス・アングレーム国際漫画祭で 日本人初の最優秀作品賞を受賞。
2010年 文化功労者にも選ばれる