「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ …」
小林一三 (阪急グループ創業者 1873.1.3.~1957.1.25. 84歳没)

親友で同じ慶應出身者であり、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門によると
小林の性格は「腹が決まってからのことには、何事も動じない」というものだった。
また、自分に直接関知しないことには 無関心であったとも言われている。

1930年代、福澤諭吉が作った時事新報が経営危機に陥った際
慶應卒業生の有力者が挙って時事新報を救うために出資や負債の引き受け
などを行った。 松永もその一人であり、松永は小林に時事新報救済のための協力を
要請したところ、小林は「慶應と縁があっても私と縁のない時事新報に
わざわざ金を出すのか?」と拒絶。 松永こそ苦笑で済ませたものの、
他の慶應OBから批判が殺到した。
小林は時事新報の先行きがどう転んでも
好転しないことを見通して いたと言われ、先行きのない企業に投資は出来ない
と言うことで拒絶したのであったが、そうと理解する慶應OBは少なかった。
事実、時事新報は1936年(昭和11年)に東京日日新聞と合同した。