「私には13人の兄弟がおり、両親が汗水流して懸命に働いても
生活は貧乏の極みにありました。 学業成績は常にトップにありながら
師範学校への進学を断念したのも 貧しさゆえです。
しかし、その貧しさが私の野心、野望を培いました … たとえ学校は出なくとも
独学で己の才を磨き、いつの日か世に出てやると 誓いました。」
石井久(立花証券創業者 1923年~ 92歳)

13人兄弟のうちの7番目の五男として福岡県筑紫郡大野村の小農家 藤井家に生まれる。
昭和21年8月に弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所
昭和22年3月をもって24歳で巡査となる。
同年11月に5歳年下の石井愛子と結婚、石井姓へ。
警視庁を退官ののち昭和23年6月に東京自由証券に入社
株式新聞の記者などを経て、昭和28年3月29歳のときに 石井株式研究所を創立する。
同年9月に江戸橋証券を創立、昭和32年6月には立花証券を買収し
江戸橋証券とこれを合併、昭和36年10月には 同社の取締役社長に就任。

清水一行の作品のひとつ 経済小説 『大物』 のモデルともなった。
「独眼流」のペンネームで予言を次々に的中させるが、その中でもスターリン暴落を
予言したといわれる 「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」 は証券業界では語り草になっている。
表舞台から姿を消した後も 近しい人間にバブル崩壊を予言 …
手持ちの金融資産、不動産を処分し 現金に換えておくよう忠告したとされる。
正に、BIG MAN!