「Rising Sun」

全国高校ラグビーフットボール大会で28日、1回戦に登場した若狭(福井)の選手たちは
右袖に太陽のマークがついたジャージーを着て戦った。 
昨年9月、1年生部員の川淵旭飛(あさひ)さん(当時15歳)が急逝 …
「旭飛を 花園に連れていく」との思いを込めて、ジャージーは氏名に ちなんだマークに加えて
「Rising Sun」の文字も デザインして新調した。
27.12.29. 友之 ライジングサン
試合はつるぎ(徳島)に12-45で敗れたが、選手たちは全力を出し切った。
 川淵さん宅では、笑みを浮かべた遺影を囲むように、スクラムを組む写真やラグビーボール
が飾られている。 ライバル校の選手らも 誕生日などに訪れるという。
母 夜寿子さん(50)は「旭飛がラグビーをしていたのは 数カ月だけ。 
こんなに思ってくれるなんて …」と 元気づけられている。
 
 川淵さんはスクラムハーフだった。昨年9月13日、自宅で「体がだるい」と訴え、
数日後に意識不明に。 部員らは千羽鶴や寄せ書きしたジャージーを持って 集中治療室の
川淵さんを見舞ったが、同月28日に くも膜下出血で亡くなった。
発症の原因は 不明だった。
 
 部員らはショックで練習に身が入らなくなった。 1週間後、マネジャーの新谷梨穂さん
(2年)が「ずっと一緒にラグビーしよう」と遺品のTシャツを練習場に掛けた。
部員らはやる気を奮い立たせたが、昨年は県予選で敗退した。
 
 今年9月の一周忌に選手と寺本幸司監督(40)ら約30人が川淵さんの自宅を訪れた。
仏壇を前に「今年こそは花園に連れて行く」と誓った。 県予選決勝の前に組んだ円陣で
石橋大樹主将(3年)は「旭飛のためにも 全力で戦おう」と部員を鼓舞。
2年ぶり10回目の花園を決めた。
 
 選手らは開会式で初めて太陽のジャージーを着た。 いつも笑顔だった川淵さんの
記憶が 太陽マークと重なった。 月命日の28日の初戦、花園の空は雲に覆われた。
ゲームはつるぎにリードされる苦しい展開。
終盤、チームを励ますかのように 太陽が顔を出した … 
 
幼なじみの池尾征馬選手(2年)
は 「来年こそ旭飛に 1勝をプレゼントしたい」と 前を見据えた。
「毎日新聞より」
27.12.29. 友之 チームメイト
今回の つるぎ戦、負けたとはいえ イイ戦いぶりを観せてくれました。
多くの方々に 大きなご支援を頂きまして 誠にありがとうございました。
感謝致しております!
 
  

tokioka の紹介

1958年1月27日生まれ、1985年 家業の旅館を法人化と同時に 代表取締役に就任。 1995年 旅館近くに434坪の土地取得し、駐車場事業開業(ビーチリゾート系) 1998年 同じく250坪を取得し 二つ目の駐車場事業開業。 2001年 旅客運送業開業。 2003年 旅行業開業。  2006年 旅行業から撤退。 2009年 駐車場事業から撤退。  現在 旅館業を核事業としながら、関連性のある 別の事業を模索中である。

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