「どのような教育も 逆境には及ばない …」
• 1804年12月21日~1881年4月19日 (76歳没)
• 出身地:イギリス ブルームズベリー
• 設立団体:保守党
初代ビーコンズフィールド伯爵 ベンジャミン・ディズレーリは、
イギリスの政治家、小説家、貴族。
4回の選挙に落選を経験し、また ユダヤ人でありながら
保守党 党首に上り詰めることに成功し
2期にわたって 首相を務めた。
カテゴリーアーカイブ: 偉人格言
桂 小金治
「一念発起は誰でもする。 努力までなら みんなする。
そこから一歩抜き出るためには、努力の上に辛抱という棒を立てろ。
この棒に 花が咲く …」
桂 小金治 1926年10月6日 – 2014年11月3日(88歳没)
エピソード
『アフタヌーンショー』に司会者として出演するようになったきっかけは、一件の交通事故に出くわしたことだった。
1965年5月4日、家族で房総半島にドライブへ行ったその帰り、途中で小学生を 車を停めて渡らせてあげていたが、後ろから軽自動車が、小金治の車を含む 停まっていた3台を追い越して走行し、この小学生にぶつかってしまった。
小学生2人は怪我をし、小金治はその小学生の入院先に見舞いに訪れていた。
その時に小金治は小学生から 「あのお兄ちゃん(軽自動車のドライバー)も謝っているから、あまり お兄ちゃんのことを怒らないで…」
と言われたことに感銘を受け、涙ぐんだことがあった。
この時から小金治は 交通事故防止キャンペーンに力を入れようと思い立ち、どこかアピールの場は無いかと探っていたところ 「テレビで話してみたらどう」 と妻に後押しされたことから、番組『木島則夫モーニングショー』に出演、このエピソードを涙ながらに話した … これが モーニングショーのスタッフに 「すごい反響です!」と言われ、後に後任司会者を探していたアフタヌーンショーから 「あの時の正義感を以って 出ていただきたい」 とオファーを受け、最終的に引き受けて 以後8年間アフタヌーンショーの司会を務めた。
さてさて、当館 鼓松は 10/19~12/11(昨日)まで 怒涛のような54日間でした!
明日から大晦日&元旦の昼宴会まで そこそこの忙しさにて 営業致しますが
気分的には一段落です。
正月の休みは 遠い昔にありましたが、いつ頃だったか 記憶から 消えております …
多分、20数年ぶり? この元旦夜~1/4 まで休館とさせて頂きます。
サマセット・モーム
アーサー・ゴッドフリー
悪口
ザ・グレーティスト
「何のリスクも取れない人間は、人生で何一つ 成し遂げることはできない …」
モハメド・アリ 1942年1月17日~2016年6月3日 74歳没
1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式では
聖火台の点火者は 当日まで秘密にされていたが、女子水泳選手の J・エバンスが
点火台まで聖火のトーチを運び上げた時、アリは 彼女からトーチを受け取り
病気のため震える手で 点火用のトーチに火を点けた。
この時、1960年のローマオリンピックで金メダルを得て 帰国直後に
レストランにて黒人である事を理由に 入店拒否され、メダルを 川に捨てたという
エピソードが紹介され、改めてアトランタの金メダルが 彼に贈られた。
柳井 正
「挑戦しなければ 人生ではない …」
柳井正(ユニクロ創業者) 1949年2月7日 生まれ
ユニクロの(特に若手社員に対する)労働環境が厳しいのでは との批判を受けて
2013年に日経ビジネスで語った 自身の社員教育方針については …
「僕が若い社員に 『海外に行ってくれ』 と繰り返し言うのは、本当の意味で経営者に
なってほしいからです。 それができないのであれば、当然ですけど、単純労働と
同じような賃金になってしまう」 「僕は将来、本当に若者が活躍できる世の中になれば
25歳以上は 全員対等に評価すべきだと思っています。
(中略)
25歳くらいまでに 基本的な考え方を決めて、努力を重ねて35歳くらいで
執行役員になる。 そして45歳くらいでCEOになるのが、正常な姿だと思っています。
だからこそ、若いころに甘やかされては いけないと思っています …」
との観点を示している