27.06.16.渡辺謙
「若いころから 大きな夢を語ることも 大切だけど
目の前のことを 地に這いつくばって必死にやることも 大切です。
映画界でも、演出でも脚本でもない裏方の仕事を
血眼になってやっていた若い人が、メキメキと力をつけて監督にまで
出世することが あるんです。
  
目の前の仕事を 一心不乱にやっていると
きっといろんなことに 興味が出てきて 自然に育っていくんですね。」
渡辺謙 1959年10月21日~ 55歳

27.06.16.渡辺謙&ゴメス
ゴメスと握手 … 大の阪神ファン!
 
 

段取り八分

「大きなチャンスが姿を現すときは、きっと来る。
そのとき、それを利用できる準備が できていなければならない」
サム・ウォルトン
(ウォルマート創業者)1918年3月29日 ~ 1992年4月5日 74歳没
27.06.15.samuworutonn
オクラホマで農場を営む家に生まれたサムは、ミズーリ大学経済学部卒業後
会社勤務を経て軍隊に入隊。1945年の除隊後に雑貨屋を購入し、チェーン展開を開始した。
1954年には彼の弟バドとともに ウォルマートの原型ともいえるディスカウントストアの
「Walton’s」(ウォルトンの店)を開業し、16の雑貨店を所有した。
 
1962年に「Walton’s」の他に ウォルマートを創業し、経営に乗り出した。
当時の小売業界の主要出店方式の逆をいく 大型店を中心とした田舎での出店や
現在では小売業の潮流ともいえるドミナント方式を いち早く導入する流通革命を先導し
物流、情報を最大限生かした効率的な経営で 全米最大の小売業へ導いた。
 
また、フォーブスは1985年~1988年まで 世界一の金持ちとして紹介し
奨学金制度の創設などにも積極的に参加。 1992年には大統領自由勲章を受章している。
27.06.15.SamWalton-1936
写真は18歳のサム・ウォルトン
 
 

障害物競争

27.06.10.明石屋さんま
「結婚はゴールではない … スタート!
しかも途中から 障害物競争に変わる。」
 
「男が生き方を変えるのは 惚れた女ができた時 …」
明石家さんま 1955.7.1.生まれ 59歳
 
逸話 …
番組(11PM)内で、海原千里(上沼恵美子)から
「SEXの四十八手以外に 知っている技がある人は?」という質問に対し、
「逆さ十文字落としでぇーす」と答えて技を説明した。
スタジオは爆笑だったが 司会の藤本義一から
「さんまか いわしか知らんけどな
テレビで言うて ええことと 悪いことがあんねや。
それぐらい覚えて出て来い!」と CM中に叱責される。
 
 
あはは …
 
 

能力 < 決心

「およそ事業に必要なのは、成し遂げる能力ではなく やりとげる決心である。」
矢野恒太(第一生命保険創業者)
27.06.01. 矢野恒太
やのつねた 1866年1月18日~1951年9 月23日
明治期から大正期に生命保険業界の基礎を築いた実業家。
第一生命保険 創業者。 医師。
 
 
2014年度中間期決算で
第一生命保険が、新契約および保険料等収入で
ニッセイを 追い抜いたそうですネ …

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経営の神様

27.05.23. 松下幸之助3.
「どんなに悔いても 過去は変わらない。
どれほど心配したところで 未来も どうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすのみである。」
 
「アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。
これもやはり 熱心であること。
寝てもさめても 一事に没頭するほどの 熱心さによって
思いもかけぬ、よき知恵が授かる。」
 
「商売とは、感動を与えることである。」
27.05.23.松下幸之助
松下幸之助 (1894年~1989年 95歳没)
父が米相場で失敗したのち、小学校を中退し、9歳で丁稚奉公に出たが
くじけることなく、多くの経験を糧として商売人としての心得を学んだ。
明治43年、開通した大阪の市電が 「電気で走る」のをみて
電気事業の将来性を感じとり 「電気の世界」へ 第一歩を踏み出す。
27.05.23. 松下幸之助2.
 

 
 

順番がある …

「たぶん順番があって、どの世代にも脚光を浴びる時代が 廻ってくると思うんです。
問題は、そのときがくるまでに しっかり準備しておけるかどうか。
今、 輝いている人たちは準備を怠らず、自分の力を発揮できているわけで
本当に すばらしいと思いますね。」
草なぎ剛 1974年7月9日生まれ(40歳)
27.05.16. 草なぎ剛

100キロマラソンを完走したことがある。
27時間テレビの司会がタモリのとき、番組史上初、自ら100キロマラソンを志願した。
なお、100キロマラソンに向けてのトレーニング期間は 主演ドラマと主演映画の撮影もあり
超絶多忙スケジュールの中で トレーニングをして準備を行っていた。
また、50キロの折り返し地点からは、番組フィナーレで行う大縄跳びで
「いいともレギュラー全員が飛ぶための “大縄を襷がけ” で背負いながら」
最後まで走り抜いた。
 
100キロマラソンの2日後 歌番組収録の雑誌の密着レポでは
草彅がタンクトップ姿になった際の写真が掲載され
草彅の右肩には大縄を背負ったあとの痣が くっきりと痛々しくあった …
 
 

メイウェザーは、ヒールか?

27.05.05. メイウェザー2
両雄のファイトマネーが 330億円以上とも言われた メガバトル。
果たして拳を交えたスーパースター2人には、どんなバックグラウンドがあったのか。
パッキャオは言わずと知れた 「アジアの英雄」だ。 フィリピンの貧しい農家で生まれ育ち
自らの拳だけを頼りに 異国の地で運命を切り開き、史上2人目となる6階級制覇を成し遂げ
母国だけでなく 米国でも絶大な人気を誇り 「将来はフィリピンの大統領になる …」
とも ささやかれている。
 

一方のメイウェザーは父が元世界ランカー、叔父が元世界2階級王者という
プロボクサーファミリーに生まれ、幼少のころからボクシングの手ほどきを受けていた。
しかし実際のプライベートでは 両親とも薬物に手を染めてしまうなど 生活は荒廃しており
貧しい地域に住んでいたこともあって
「逮捕されなかったのが 不思議なぐらいに 素行が悪かった」 という。
Miguel Cotto v Floyd Mayweather Jr. - Weigh-In
パッキャオは、敗戦後に 試合の約3週間前に 右肩を痛めていたことを明かした。
「患部のせいで 思っていたとおりにできなかった …」
と 弁明したパッキャオに対し、メイウェザーはこう冷静に言った。
 
「実は自分も両手両腕を 負傷していたんだ。
でも、もしパッキャオが勝利者としてコールされていれば、リスペクトの言葉を口にして
彼の実力が 私を上回っていたと 言っただろう …」
 
そこに 「ヒール」の姿はなかった。
試合後に 大人の対応をしたメイウェザーが 真の勝者だったと 言わざるを得ない。
BY 臼北信行
 
 

さすがのコメント! 48戦48勝 無敗は、だてじゃないですネ …
 
 

ハブニラミ

「追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ」
 羽生善治(将棋棋士・7冠王 はぶ よしはる 1970年9月27日~ 44歳)
27.04.18. 羽生1.
東日本大震災の発生から 約3か月後の2011年6月12日
被災地である仙台市において 「自分と闘って負けない心」 と題する講演を
行ったが、この前後の1週間には 重要な対局が集中した …
 
6月7日~8日は 第69期名人戦七番勝負第6局
11日は 第82期棋聖戦第1局(10日は前夜祭)
13日には 第52期王位戦挑戦者決定戦という過密な日程であったが
この3つの対局すべてで 勝利した。
27.04.16. 坪庭
ちなみに これは、当館の坪庭 …
27.04.16. 渡り廊下より観る庭園
こっちは 中庭 …
 
 

大物

「私には13人の兄弟がおり、両親が汗水流して懸命に働いても
生活は貧乏の極みにありました。 学業成績は常にトップにありながら
師範学校への進学を断念したのも 貧しさゆえです。
しかし、その貧しさが私の野心、野望を培いました … たとえ学校は出なくとも
独学で己の才を磨き、いつの日か世に出てやると 誓いました。」
 
石井久(立花証券創業者 1923年~ 92歳)
27.04.16. 石井久
13人兄弟のうちの7番目の五男として福岡県筑紫郡大野村の小農家 藤井家に生まれる。
昭和21年8月に弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所
昭和22年3月をもって24歳で巡査となる。
同年11月に5歳年下の石井愛子と結婚、石井姓へ。
警視庁を退官ののち昭和23年6月に東京自由証券に入社
株式新聞の記者などを経て、昭和28年3月29歳のときに 石井株式研究所を創立する。
同年9月に江戸橋証券を創立、昭和32年6月には立花証券を買収し
江戸橋証券とこれを合併、昭和36年10月には 同社の取締役社長に就任。
27.04.16. 石井久2.
清水一行の作品のひとつ 経済小説 『大物』 のモデルともなった。
「独眼流」のペンネームで予言を次々に的中させるが、その中でもスターリン暴落を
予言したといわれる 「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」 は証券業界では語り草になっている。
 
表舞台から姿を消した後も 近しい人間にバブル崩壊を予言 …
手持ちの金融資産、不動産を処分し 現金に換えておくよう忠告したとされる。
 
 
正に、BIG MAN!
 
 

キャノン

「与えられた仕事の分野では、世界一になるんだ という意気込みを持て!」
賀来龍三郎 かく りゅうざぶろう 1926~2001 (キャノン名誉会長)
27.04.04. ガク
情報化社会にあっては 独創力こそ人間としての存在理由になる。
 
上司に向かってズケズケとモノを言う性分なので、我ながら 危なっかしい会社人生を
送ってきました。 若気の至りですね … ただ、特定の上司や派閥に取り入ろうとして
発言したことはありません。 課題ごとに是非を論じてきた。 それが理解されて
クビが つながったのでしょう。 そもそも キヤノンの経営陣には派閥がなく
割に風通しの良い会社だったと思います。
 
多角化のために電卓事業に乗り出すべきだと進言し、御手洗社長から
反対されました。 御手洗さんは ソニーの井深大さんに相談し、
「電気関係に出ると苦労しますよ」 と忠告されたらしい。 井深さんは善意で
おっしゃったと思いますが、今度は私が怒り 「なぜ自分の部下の言うことを聞かず
他社の助言に従うのですか?」 と食って掛かりました
 
面接試験で趣味を聞かれ 「麻雀です」と答えました。 すると、御手洗社長の機嫌が
悪くなった。 徹夜で賭け事をするのはけしからん、というわけです。
家庭麻雀に慣れ親しんでいた私は思わず 「麻雀のどこが悪いのですか。
私は賭けも 夜更かしもしません。」 などと 反論しました。
御手洗さんはカッと怒りだした。 それで、キヤノンを諦めて 次の就職先を探しました …
ところが、社長が「不合格」と言ったのに、他の役員は全員「合格」。
多数決で 入社が決まりました。 役員が社長と反対の意見を述べ
それが通るなんて 面白い会社だなと思いました。
 
人のためになることであって、なおかつ自分のためになることを やっていかなければ
企業は成立しない。 自らの繁栄を求めながら、真の社会的責任を果たす企業を目指せ。
 
 
ちなみに
当方の事務室には、キャノン と リコーのプリンターが各1台 あります …