1970年2月4日生まれ 46歳
セリエAでプレーしたイタリア時代には、相手の裏をかくズル賢いフェイクプレーや
日本人らしからぬ陽気な性格から、生粋のイタリア人にも なかなかつけられない
「ナポリ」というあだ名を 付けられた。
後に吉原は、「イタリアでの生活、経験が自分の内気な性格の殻を破り 一気に弾けた。
一日、一日を悔いなく過ごそう と決意し、その後のバレー人生を大きく変えた …」
と 語っている。
東洋紡時代、当時監督だった柳本晶一が 試合中コートに向かって指示を出した時に
「うるさいっ!」と 監督に向かって 言い返したことがある 。
後に柳本は、「あとで吉原は 「ごめんなさい。」 と 謝ってきた。」 と笑って答え
更に 「普通、監督に 「うるさいっ!」 って言う選手が いますか?(笑)
でも、こういう選手がチームを勝たせてくれるのではないでしょうか。」と 語っている。
日本リーグ・Vリーグで、所属した全てのチームで 優勝という華やかな戦績を残し
優勝請負人と言われた。 一方で、引退時に所属していたパイオニアを除く、
すべての所属チームで解雇を経験している苦労人でもあったが
1992年バルセロナ、1996年アトランタ、2004年アテネとオリンピック3大会に
出場するなど、長く日本のトッププレーヤーとして18年間 常に第一線で活躍し
2015年6月より、JTマーベラスの監督に就任している。
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天網恢恢疎にして漏らさず
昔々、北欧に 小さな王国が ありました …
そこの国王は とても勤勉で 重臣の言をよく聞き
次から次 … 他に類を見ない 斬新な改革を行い
国民の誇りとも 呼ばれるほどの人物でした。
さらに国王は、国民の為に 今で言う「公共施設」を 建設し
大衆の憩いの場を造りました … それにより 国民の支持は うなぎのぼり …
しかし、一方で その施設建造の費用と それを維持するためのコストにより
税は 徐々に値上がりし … チラホラと 批判の声も 聞こえてきました。
そこで 大きなスキャンダル …
国王は公共工事の請負業者から 謝礼を
ポッポナイナイ してたことが リークされました。
歴代の国王は皆 … このような謝礼を儀礼的に ドンガバチョ していた
という 噂話まで 出てきました。
さてさて この話の真偽の程は 分かりません … ご想像におまかせ致します
が、ここで ひとつイイ話 …
この業者からの謝礼を 唯一 断り続けた国王が 居られたのです!
この国王は 長期政権を維持し、子孫も優秀で その末裔は
欧州大国の中興の祖と 呼ばれるほどの人物と なったそうです …
「北欧昔話」 より
三浦 綾子
「言葉を交わすことによって私たちは、勇気づけられ、慰められ、喜びを与えられます。
と 同時に、人を傷つけ、見下すという 愚かな過失も犯します。
言葉は 人間の運命をも変えるほど 大きなものです …」
三浦 綾子 (1922年4月25日 ~ 1999年10月12日)
日本の女性作家。
結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。
故郷である北海道旭川市に「三浦綾子記念文学館」がある。
エピソード
彼女の夫となった三浦光世は、肺結核で亡くなった幼馴染みの前川と
非常に容貌が似ていた。 彼女が初めて光世と出会った時、
死んだはずの前川が生き返って 目の前に現れたかと思うほど 驚いたという。
このエピソードは、彼女の自伝『道ありき』 に 紹介されている。
代表作 「氷点」DVD 買っちゃいました … 1966年 若尾文子 主演
シュバイツアー
島崎藤村
ブラックユーモア!?
マーク・トウェイン アメリカの小説家
本名 サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(1835~1910)
西部を舞台として 自然児の精神とユーモアに満ちた小説を 口語体を主に用いて書いた。
代表作「トム=ソーヤーの冒険」
名声は霧、人気は偶然の出来事。 この世でただ一つ確実なもの、それは忘却 …
友情という神聖な情熱は、実に美しく、揺るぎ無く、気高く、永続的な性質を持っている。
だから、それは 全生涯を通して存続するものだ。
ただ、金を貸してくれとさえ いわれぬ限り …
世の中には地位を崇拝する人間もいるし、英雄を崇拝する人間もいる。
また、権力を崇拝する人間もいるし、神を崇拝する人間もいる。
そしてこうした架空のものをめぐって、彼らは議論をたたかわせている。
しかし彼らの誰もが 一様に崇拝しているのは … 金だ。
┐(^ ^.)┌
田宮嘉右衛門
「人間は自分の仕事の中から 出来得るかぎり 多くの楽しみを探し出して
生き生きと 仕事の中に住む気持ちを 持たねばならない …」
田宮嘉右衛門(神戸製鋼所創業者)
生年 明治8(1875)年 没年 昭和34(1959)年
愛媛県に生まれ。 高等小学校卒業後17歳で上坂。
明治37(1904)年 田宮29歳の時 鈴木商店に入社する。
鈴木商店は、操業間もなく行き詰まった小林製鋼所の買収を 打診され
明治38(1905)年買収を決定し 神戸製鋼所と改称した。
誠実で義理堅い30歳の田宮を支配人とし、ここに神戸製鋼所の歴史がスタートした。
昭和9(1934)年、田宮は神戸製鋼所 第5代社長に就任。以来13年にわたり社長を務め
神鋼を従業員7万人の大企業に育て上げ、神鋼中興の祖として 讃えられる。
私 支配人のFB友達 田宮卓さんは、曾孫にあたります。
旅に出ましょう …
ハインリッヒ・フォン・ピーラー
「評論家とは、道は知っているが、車の運転ができない人のことである」
ハインリッヒ・フォン・ピーラー (シーメンス 元CEO)
世界的な総合電機メーカー、シーメンスは、創業150余年の歴史と
何よりその優れた技術力を誇ってきたが、長らく業績は低迷していた。
これを見事復活させたのが ハインリッヒ・フォン・ピーラーである。
ジャック・ウェルチの “Globally, No.1 or No.2”
すなわち 「ナンバー・ワンか、ナンバー・ツー以外の事業からは撤退する」
という考えの下、将来性の乏しい事業のリストラを進め
またアメリカで上場を果たすなど、株主価値重視の姿勢も示した。
伝統あるドイツ企業の「アメリカ化」ともいえる変革だが
ピーラーは その根底に揺るぎない価値観があったからこそ 成功したと語る。
ピーラーは業績好調を花道に、2005年1月にCEOを退き
監査役会会長に就任した。